AI×カウンセリング 過去のこと

「境界線」のない家① ~子どもを所有したがる母~

愛情の注ぎ方を知らなかった母

私の母は、私にとって毒だった。

世間一般的な毒親かといえば、そうではないかもしれない。
少なくとも、シングルマザーになってもしっかりと私と兄を育ててくれた。
だけどそれは「外側」だけで、私の「内側」は水をもらえない植物のようにしおれていた。
友達や友達の親からたまにもらえる水をなんとかすすって、
それこそ水が少なくても生きていけるサボテンのように固くトゲだらけになっていった。

頼り方が分からずに自己完結人間になる

正直なところ、私は人の話を聞くのも気を利かせるのも得意な方だと思う。

実際、「一緒に仕事をすると先回りして考えてくれるからすごく楽」「気が付くね~!!」と言われることも多い。
一方で、「一緒にいると緊張する」「しっかりやらなきゃダメっていう雰囲気が漂ってる」と言われることもあって、人の弱い部分や感情に疎いんだろうか…と思っていた。(そしてその通りだ)

誰かに頼ることも苦手だ。今思えば、両親に何かが欲しいといって叶えてもらったことはあまりないかもしれない。
(※父は物心ついた時にはほとんど家にいなかったから、私の家族は母と兄になる。父は"たまに帰ってくる怖い男の人"という認識だった)

「母親があげたいもの」はくれる。「私が欲しいもの」はくれない。たまにかなえてもらう場合は条件が付く。
「買ってあげたんだから〇〇しなさい」「買ってあげたのに……」

それが当たり前だと思っていたから、希望を言えば嫌な思いが付いてくるという動機付けができている。
だから誰かに頼らずに自分で何とかしようと考えるようになった。

学校で必要なものも彼女の気分次第

小学校低学年のころ、学校のプール開きの前に「目薬を持ってくるように」と学校で言われて、母親に「目薬がいる」、と言ったらなぜか激昂されて「そんなもの必要ない」と言われたことがある。

私が欲しいわけじゃなく、学校で持ってくるように言われたのにこれもかなえてもらえないのか、とショックを受けた。
と、同時に、みんなは目薬を持ってくるのかな、自分だけ持って行かなかったらなんて言われるんだろうと怖くなった。

結局、部屋で泣いていたら不機嫌な様子で部屋に入ってきた母親が無言で買い物に連れて行って目薬を買ってくれた。
ほっとしたけど、自分が希望を言うとこんなに怖い思いをするのかと思った。

今思えば、父親のことで何かあって、母親も虫の居所が悪かったのかもしれない。でも小学校低学年ではそんなところまで思い当たれない。

「母の所有物」から抜け出そうともがく

さらに中学校のときは「育ててもらっているくせに逆らうな」と言われた。「寝る場所もご飯も誰のお金だと思ってるんや!」

待ってよ、じゃあなんで生んだの。と、初めて思った。
生んで欲しいと頼んでない。育てる気がないのなら生まなかったらよかったじゃない。それに、中学生じゃまだお金は稼げない。自分が自分でいたかったら、自分で稼いでこの人から離れないとだめなんだ。

今思えば、本来は家庭で学ぶはずの「頼る」「甘やかしてもらう」「無条件に愛してもらう」といった感覚が分からないまま、私は多感な時期を過ごした。
「じゃあ、一人でなんとかしよう」と自立心が限界突破するのも無理はない。高校に入るとバイト5つ掛け持ちという離れ業でお金を溜めて、親がいなくても生きていけるようになろうとしていった。

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