
過干渉で無関心な母との関係
母の私への接し方は複雑だった。過干渉か、無関心かのどちらか。
これも今だから考えられることだが、父とのこと、父がつくった借金のこと、シングルマザーになってからの日々に忙殺されて子どもにまで関心を向けられなかったのかもしれない。
少し気持ちに余裕ができたときに「これではいけない」と過干渉になったのかもしれない。
ただ、それは自己満足の延長の干渉だったと思う。私が欲しい言葉をくれるわけでも、抱きしめてくれるわけでも、味方になってくれるわけでもなかった。
いじめにあった小学校の時の記憶
両親が離婚して母の実家(祖父母は亡くなり空き家になっていた)に引っ越したあと、小学校5年生だった私はなかなか馴染めずにいじめにあっていた。
でも、私と兄のために必死に働いてくれている母にそんなことを言ったら大変だろうなと思うと言えなかったし、いじめも波があって、平気な時と辛い時がある。それまでの小学校ではどちらかといえばリーダーシップがある方だったので、いじめられているなんて認めたくない、プライドが傷つく、というのもあったと思う。
それでもだんだん学校での日々が辛くなってくる。行きたくないなと思うようになってくる。
とうとう母に「学校に行きたくない。実はいじめられてる」と、意を決して伝えた。その瞬間の母の反応が忘れられない。「え……」という、ちょっと固まった表情だった。それはショックというより、困った、とか、面倒、とかそういう顔。
お金ではなく心からの心配が欲しいだけ
本当は違ったのかもしれないが、すぐさま「誰から!?大丈夫!?」と、心配してくれるという期待をしていた私からは、そんな風に見えた。
そして、やっと言えた安堵で泣きじゃくる私に母が言ったのは
「全然そんなの気が付かなかったわ。まあ、あなたが隠すのがうまかったっていうことで」
だった。
何の解決にもなってない。しかも気が付いてもらえなかったのは私のせいなのか。隠したくて隠してたんじゃない。気を遣ってがんばってたんだよ。
私が楽しそうに学校でのことを話したことがある?私が学校から帰ってすぐに、友達と遊びに行ったことが何回あった?
黙り込んでいた私に、母が言ったのは「じゃあ転校する?」だった。
お金がないのにそう言ってくれたのは母なりの最大限の愛情だったのかと思う。でも、家の状況を知っていて「うん」と言えるわけがなかった。
「それは大丈夫」
何とかそう答えたときに、明らかにほっとした母の気配が伝わってきた。
あの時欲しかった言葉はなんだったんだろうか。
「どこの誰がいじめてるの!?」「行かなくていいよ、学校なんて」「気が付けなくてごめん!辛かったね」……
そうした言葉がもらえていたら、もっと「頼る」「甘える」を覚えていけたかもしれない。
押し付けられる思想と潰れていく心
こうして、心に余裕がない母は自分のコントロールできる範疇に子どもを収めようとしていった。
今だからこうして彼女の気持ちや行動を言語化できるが、当時(というかごく最近まで)はただただ、「なんでこんなに私の考えを否定するの」と思っていた。
あれはダメ。こうすべき。●●しなさい。
もともとが好奇心が強く行動力があった私は、堅実な母のいう「あれだめこれだめ」にいつも息苦しさを覚えていた。
心理カウンセリングを受けて「親密感への恐怖」を知ったのち、人と人の間にある境界線「バウンダリー」について知ったときは「まさにこれだ!」と思った。母は常に自分の境界線を私にも強要し、私が境界線を作ることを許さなかった。
大人になってから、恋人ができても「これ以上こないで」という一線が普通の人が首をかしげるような部分で私にはあるし、逆に相手が引いている線の意味がわからないことがある。お互いを尊重する境界線についても学べないまま大人になっていたのだった。
「笑われる」ことが辛い
母にされることで物凄く嫌なことがあと2つある。
一つは、こちらが真剣に悩んでいること、まじめに伝えていることを「笑う」ことだ。
「そんなことで(笑)」「何いってるの(笑)」
一番最初の記憶は、幼稚園のときに車でお迎えに来てくれた母が、
私がまだ乗っていないのに、助手席に乗ろうとしたくらいの段階で車を発進させたときのことだ。
ドアも開いたままだったし、振り落とされないように助手席にしがみついていた数秒間はものすごく怖かった。
必死で「お母さん!」
と言ったら、気付いた母が車を止めた。でも、次に彼女がしたのは「あははははは」と笑うことだったのだ。「怖かったよね、ごめんね」とか「大丈夫?」とかは一切ない。幼稚園児であっても、その理不尽さには打ちのめされた記憶がある。
「謝られない」ことが心を凍らせる
もう一つは「謝らない」ことだ。
後々記憶を整理してわかったことだが、母は子どもに謝らない人だった。
そして、自分に非があるときは前述のように、笑ってごまかすのだ。それがものすごく嫌だったし傷ついた。
間違いを認めることがそんなに嫌なんだろうか?謝ることで、誰かから何かを搾取されてきたんだろうか?
確か、中学生くらいのときだったか。母に、修学旅行のお土産か何かで買ったガラスの風鈴が、なぜか居間と廊下の間の鴨居にかけてあった。(風が吹かない場所なのだが)
朝の慌ただしい時間、居間から出ようとした母が何かの拍子に風鈴に手を当てて落として割れた。
その時の母は「しまった」ではなく「あーー!!(出かける前なのにイライラする!という風情で)」と叫んで、憎々しげに床に落ちて割れた風鈴を見ていた。
一部始終を見ていた私はまたしても母の態度にショックを受けて、そしてこの時にはずいぶんとしたたかにもなっていて、悲しい気持ち半分、彼女に罪悪感を抱かせてやれという気持ち半分で「割れちゃった…」とつぶやいた。
その時の返事も忘れられない。
「ごめん、今度買ってくるわ」
……いや、いいよ
やっと母からもらった「ごめん」は、「今度買ってくるわ」という、私が母のために買ってきたものに「いくらでも替えが効くもの」というバフを与えて、ものすごい破壊力を持って私の心を凍らせた。